映画「毎日かあさん」 ― 2011年02月07日 12時23分34秒
原作でモデルになっているご家庭とは、映画劇中の時期でいうと途中の頃からですが近しい関係であり、鴨志田穣さんとは、創作のお手伝いをしたり本の装丁をさせていただいたりと、けっこう身近な存在でした。それだけに、後半の、病に倒れてやつれていくハンパなく似まくっている永瀬さんの鴨さんっぷりには驚愕でした。きけば彼はお墓の前で台本を読んだり、12キロも減量したりしたとか。恐れ入ります。
皆さんから「泣けた」「号泣した」とか言われがちな映画なんですが僕はそれほど涙は出ず、楽しい時間を過ごせました。ただ亡くなった鴨志田さんにたいして「ああすればよかった」とか「もっとこんな話をしたかった」とか後悔の念が溢れ出してきて、それがやりきれず悲しくはなりました。
上映後に始まった舞台挨拶、主演の二人に監督、原作の西原理恵子さん、子役さんで話は進んでいきましたが、特別ゲストとして主題歌を歌っている元憂歌団の木村充輝が登場!ギター一本で主題歌を生披露してくれました。憂歌団の大ファンだった僕は正直こちらのほうが泣けてしょうがなかった。この主題歌「ケサラ」、最高ですよ。是非この曲だけでも聴いてみてください。最後に、涙で声をつまらせながら永瀬さんが鴨志田さんへの御礼の言葉をのべられたのに今回の出演への心意気を感じて、またジンときました。
「借りぐらしのアリエッティ」試写会 ― 2010年07月07日 23時23分23秒
ストーリーなどは、サイトに詳しくありますので、気になる方はそちらをご覧ください。観たあとの印象は、淡々とした、上質な絵本を読んだあとのような、ふんわりとしたものです。ハリウッドの大作アニメだったら、これではきっとプロデューサーのOKはもらえないんじゃないかと思うくらい、話はシンプルだし、ドキドキハラハラの大活劇もありません、あれはどうなったの?に対する答えもはっきりと描写されません。しかし、足りないところやあら探しやつじつまの合わないところをほじくり返したところで、野暮ってもんです。
そんな一見地味な、シンプルな話でも、見終わって帰宅してから、日も替わってから、親と子供達が一緒になって「あそこはこうだった」「あのシーンはかわいかった」「あれはよかった。綺麗だった」などとまだまだ話題はつきないのですから、きっと心に染みたんだと思います。それほどジブリ作品観ている訳ではないんですが、スタジオ・ジブリにしか作れない、発表できない作品だと感じた映画でした。
十三人の刺客 ― 2010年01月06日 13時13分13秒
年末年始の飛ばしちゃったブログは、またさかのぼって公開いたします。御容赦御願申し上げ奉り候。
嵐の気仙沼 ― 2009年12月15日 14時36分51秒
「西原理恵子の人生画力対決」 ― 2009年11月04日 23時58分58秒
チケットが数分で完売になると言う超人気イベント、今回もワシワシと新宿ロフトプラスワンまで行ってまいりました。今回の前半戦の対戦相手は御大松本零士氏です。ヤマトやハーロックがメジャーになる前(たぶん男おいどんのころ)松本氏の第2次大戦ものが好きでした。ジャガイモのような顔をしたずんぐりむっくりの日本兵が印象的で、戦車や軍艦や戦闘機はカッチョいいと思いつつも、戦争のせつなさ戦士の哀しさはその作品達からはよく伝わってきたものです。小学生でしたが短編「鉄の墓標」というタイトルは今でも鮮明に憶えています。その後テレビで「宇宙戦艦ヤマト」の放映が始まり、一気に松本零士ファンになっていったのでした。時が経ち、まさかこの目の前で、生でその松本零士がハーロックやメーテルを描くところが見られるとは……。感動です。俺もよく模写したなあ。手塚治虫の臨時アシスタントをした話や、サルマタケをちばてつや氏に食べさせた話なども飛び出し会場は大いに盛り上がりました。サイバラさんもすっかりうまくなった「メーテル」や「叶姉妹」などのお題にギャグを織り交ぜ、焼酎でほろ酔いの少々話が長い巨匠をころがしておられました。後半の対戦相手は、くるねこ大和さんと須藤真澄さんの猫漫画家対決でした。
「珍スポーツ」 ― 2009年11月01日 23時23分23秒
泉昌之トークライブ ― 2009年10月22日 23時23分23秒
写真は拙装丁ですが私がやらせていただきました久住さんのエッセイ「野武士のグルメ」です。どうぞよろしく。
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