富沢祥也君 ― 2010年09月16日 19時45分09秒

数少ない僕のテレビ視聴の楽しみ。ケーブルTVでのモーターサイクルレース、motoGP。最高峰GPクラスのひとつ下に、今年は昨年までの250ccクラスにかわって、moto2というクラスが新設されました。エンジンはホンダ製の600ccワンメイク、タイヤはダンロップのワンメイク、これで各メーカーはmoto2クラス用バイクの開発をします。
2010年シーズン開幕戦カタールGP、記念すべきmoto2クラス初の優勝者は、昨年の250ccクラスから参戦すること2年目、日本の富沢祥也選手でした。チェッカーを受けたときは、テレビを見ながら思わず声を張り上げてしまいました。まだ19歳。一生懸命に英語で話すレース後の会見は、それはもう初々しいものでした。
後に同じ日本の高橋裕紀選手も第7戦で優勝し、今年はmoto2クラスの観戦に力が入りました。富沢選手は、その後のレースでは転倒が多かったため、ぶっちぎりというわけにはいかないまでも、そのアグレッシブなライディングで、着実にポイントを重ねていきました。ポールポジションも取ったし、常に上位を狙えるレース運びが出来る、これからが楽しみな才能でした。よく転倒するんだけど、いつもケロリとしていて、めちゃ若いし、茶目っ気があって、すでにおっさんの僕には、そんな彼がとてもかわいらしく感じられました。いい奴だなあと。こんな青年がうちの子供のおむこさんになったらいいのになあ、とか。
しかし富沢選手は先日9月5日のサンマリノGPで、レース中の事故により、病院に搬送されたものの、亡くなってしまいました。(もし興味をもたれたとしたら、そのサンマリノGPの日の動画を見てみてください。残念ながら日本語はありません。いつまで見られるかわかりませんが。http://bit.ly/bOPzRi )
呆然としました。2003年motoGPでの加藤大治郎のこともあり、勘弁してくれよ、という思いでした。ニュースを読んで彼の写真を見るたびに辛くなってきました。あんまりじゃん。まだ19じゃん。
そして15日に執り行われた告別式に、いちファンとして行ってきました。なるべくたくさんの方に見送っていただきたいというご両親や関係者の方のご意向があり、一般のファンの参加も可能だったからです。
それにしても、まだ19歳、自分の子供だとしても、けしておかしくない年齢。 弔辞を読む、ほんの少し前まで一緒に勉強していた高校時代の友達なんて、僕にはまだまだ子供にしか見えません。出身校からなんでしょう、制服姿もたくさん見かけました。他でも経験があるのですが、自分より若い人の葬儀というのは、それはつらいものです。僕とそう変わらない年齢であろうお父様が、出棺時の挨拶の最後、ふりしぼるようにして「自慢の息子でした」とおっしゃった時は、ほんとにきつかった。 祥也君、きみはほんとに素晴らしい奴だけど、ご両親より先に逝ってしまったことだけは、褒められないなあ。
式が終わりました。バイクで来ていた人はそれほど見かけなかったので、僕が目立ってたんでしょう。駐車場で帰り支度をしていると、誰からともなく「気をつけて帰ってくださいね〜」と声をかけられ、食事に立ち寄った近くのラーメン屋では「さっき来られてましたよね」とファン同士で富沢君について立ち話になったりしました。往復約250キロ。ちょっとした距離でしたが、行ってよかったと思います。
でも、これからもやっぱり僕はバイクレースを見るでしょう。motoGP関係や様々な関連メーカーの方々には、レース運営、ウェアやプロテクターの開発など、更なるライダーへの安全対策を願いたいです。 レースは好きだけど、もうこんなことはごめんです。
2010年シーズン開幕戦カタールGP、記念すべきmoto2クラス初の優勝者は、昨年の250ccクラスから参戦すること2年目、日本の富沢祥也選手でした。チェッカーを受けたときは、テレビを見ながら思わず声を張り上げてしまいました。まだ19歳。一生懸命に英語で話すレース後の会見は、それはもう初々しいものでした。
後に同じ日本の高橋裕紀選手も第7戦で優勝し、今年はmoto2クラスの観戦に力が入りました。富沢選手は、その後のレースでは転倒が多かったため、ぶっちぎりというわけにはいかないまでも、そのアグレッシブなライディングで、着実にポイントを重ねていきました。ポールポジションも取ったし、常に上位を狙えるレース運びが出来る、これからが楽しみな才能でした。よく転倒するんだけど、いつもケロリとしていて、めちゃ若いし、茶目っ気があって、すでにおっさんの僕には、そんな彼がとてもかわいらしく感じられました。いい奴だなあと。こんな青年がうちの子供のおむこさんになったらいいのになあ、とか。
しかし富沢選手は先日9月5日のサンマリノGPで、レース中の事故により、病院に搬送されたものの、亡くなってしまいました。(もし興味をもたれたとしたら、そのサンマリノGPの日の動画を見てみてください。残念ながら日本語はありません。いつまで見られるかわかりませんが。http://bit.ly/bOPzRi )
呆然としました。2003年motoGPでの加藤大治郎のこともあり、勘弁してくれよ、という思いでした。ニュースを読んで彼の写真を見るたびに辛くなってきました。あんまりじゃん。まだ19じゃん。
そして15日に執り行われた告別式に、いちファンとして行ってきました。なるべくたくさんの方に見送っていただきたいというご両親や関係者の方のご意向があり、一般のファンの参加も可能だったからです。
それにしても、まだ19歳、自分の子供だとしても、けしておかしくない年齢。 弔辞を読む、ほんの少し前まで一緒に勉強していた高校時代の友達なんて、僕にはまだまだ子供にしか見えません。出身校からなんでしょう、制服姿もたくさん見かけました。他でも経験があるのですが、自分より若い人の葬儀というのは、それはつらいものです。僕とそう変わらない年齢であろうお父様が、出棺時の挨拶の最後、ふりしぼるようにして「自慢の息子でした」とおっしゃった時は、ほんとにきつかった。 祥也君、きみはほんとに素晴らしい奴だけど、ご両親より先に逝ってしまったことだけは、褒められないなあ。
式が終わりました。バイクで来ていた人はそれほど見かけなかったので、僕が目立ってたんでしょう。駐車場で帰り支度をしていると、誰からともなく「気をつけて帰ってくださいね〜」と声をかけられ、食事に立ち寄った近くのラーメン屋では「さっき来られてましたよね」とファン同士で富沢君について立ち話になったりしました。往復約250キロ。ちょっとした距離でしたが、行ってよかったと思います。
でも、これからもやっぱり僕はバイクレースを見るでしょう。motoGP関係や様々な関連メーカーの方々には、レース運営、ウェアやプロテクターの開発など、更なるライダーへの安全対策を願いたいです。 レースは好きだけど、もうこんなことはごめんです。
コメント
_ kkatana ― 2010年09月16日 21時06分08秒
葬儀の様子、伝えていただきありがとうございました。レース見ましたが、これじゃあ、って思いました。お互いにバイク 気をつけましょう。
_ 柳葉魚 ― 2010年09月17日 16時57分36秒
>kkatanaさん
ありがとうございます。お互いにということは、そちらもバイクに乗ってらっしゃるんですね。乗車時は、極力無理をしないように、ひと呼吸「待つ」余裕を持つよう、心がけてます。
ありがとうございます。お互いにということは、そちらもバイクに乗ってらっしゃるんですね。乗車時は、極力無理をしないように、ひと呼吸「待つ」余裕を持つよう、心がけてます。
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