ライラの冒険 ― 2008年03月02日 23時56分29秒

この日入っていた予定がなくなったので子供らを映画に連れて行く。「アース」という意見もあったが結局「ライラの冒険」に決った。近くのチケットぴあで大人一人と子供二人のチケットを購入。¥2900、安い。前売りはありがたい。前売りで浮いた分でパンフレットを買ってやれる。観るのは吹き替え版なので、2回目の早い上映である。客の入りは8分くらい。ケイト・ブッシュが主題歌を歌っているということくらいしか事前情報を仕入れていなかったので(ケイト・ブッシュ好きなんですよ実は)、気分はほんとに付き添いだった。思えばこういうCG満載のファンタジーとかCGアニメって観た事がなかった。スターウォーズの1、2、3とかハリポタとか指輪物語とかスパイダーマンとかニモとかカーズとかポーラーエキスプレスとか……。アニメなら「イノセンス」と「パプリカ」は観たけど、ちょっとメジャー作品って感じじゃないか。
内容はどうだったかというと……。しばらくは世界に入り込めなくてうつらうつらしていました。すみません。主役の女の子、あごが割れてて若き日のロバート・プラントに似ていました。ラジオで映画評論家が「可愛くない!」って言ってましたが僕は好みです。大人になれば。あと、熊が相撲取っていました。一番印象に残ったというか気に入ったのは、出て来る乗り物や機械のデザインでしょうか。予告編だけで本作は観てはいないんだけど大友克洋の「スチームボーイ」を思い出しました。で、このお話、まだまだ続くんですね。子供らは大変楽しんだようなので、また観たがることでしょう。
楽しみにしていたケイト・ブッシュの主題歌は、あっさりしていて物足りなかったです。
環七の制限速度は40キロ!!!!???? ― 2008年03月05日 23時23分23秒

朝から届け物のために単車で出かけた。行き先は平和島。うちからだと井の頭通り〜環七を南下するだけの簡単な道である。それなりの防寒装備に身をつつみ、届ける原稿を持って出発。
朝の幹線道路だしそれなりに込んでいる。途中結構な頻度で白バイを見かけたし、そこそこ混雑していたのでのんびり走っていた。いつも都心を走るときは安全運転だからまあこれは普段通り。目黒のあたりで信号待ちをした。目の前には立体交差の坂道。車は前方の視界には見えない。信号が青になったのでちょっとふかし気味で坂道を上がる。登り切った直後バックミラーに白バイの姿が現れた。ショック! あんなにしょっちゅうのぞき込んでチェックしていたのに、気付かなかった。どこにいたんだてめー。立体の脇で見ていたんだろうか。しかもここ環七は制限時速40キロ! いや知ってたけどさらにショック! 第三交機の巡査部長が見せつけたメーターは66キロを表示している。速度超過区分の25キロを1キロだけ過ぎた26キロオーバー。さらにさらにショォォォォォック! 「出だしはついスピード出ちゃいますから気をつけてください」だと。うまく隠れていて後ろをつけて25キロ過ぎた当たりでサイレンか、ち。よかったよな、取り締まりの違反点数がうまいこと上がって。上り坂で車がいないからついふかし気味になるのをうまく張られてしまったという後悔だけが残る。坂を上った後はすぐにスロットル落としてたし。もともと飛ばす気もないし。スピード抑えてほしかったら運転者によく見えるところに白バイ停めてりゃいいだけのことだろが。反則金の支払いは12日まで。かあちゃんごめん。思い出してもムカツクからきっと黙っとくだろうけど。
写真は花の根元がパラソルみたいでとてもキュートなオキザリス。
鴨志田穣さん「遺稿集」 ― 2008年03月08日 23時23分23秒

元戦場カメラマンで作家の鴨志田穣さんがなくなってもうすぐ1年。お母様が主催された一周忌の集いに行ってきた。故人の出身地にちなんで北海道料理のお店。集まった方々と昼間から賑やかに語りジンギスカンを食べサッポロビールを飲んだ。
一年目の命日が発行日となっている彼の「遺稿集」。今回縁あって装丁を担当させていただいた。写真は全て彼が撮影したものを使った。帯(腰巻き)がカバーと一体になったタイプに決ったのは編集者さんの意向によるもので、本当は別にしたかったけど、西原理恵子さんのイラストが、カバーやフォントの固い印象を和らげてくれている。これだともう離れる事もないし、よかったのかもしれない。四六判のハードカバー文芸書の装丁仕事は昔から憧れていたので、鴨志田さんには本当に感謝している。生前、著書にサインをしてもらった。「一緒に酒も飲めずに面目ない」と書いてくれたけど、この日は少しは一緒に飲んだような気分になれた。
せっかく酒が抜けたのに、余命を宣告されてしまった彼が苦しみながらもぎりぎりまで書いていたもので、力作だと思います。本はもう書店に並んでいます。よかったら手に取ってみてください。
坂本九 ― 2008年03月09日 20時23分23秒

子供の頃坂本九と同じステージに立った事がある。4〜6歳の頃。いや正しくは彼のコンサートの途中のコーナーで上に上げてもらっただけなのだが。子供を招待するようなコンサートだったのだろう、連れていってくれたのは母である。その時、同じ舞台には10人近くの子供が上がった。九ちゃんがみんなに簡単なインタビューをする。俺の二人ほどとなりにいた男子は名前や年齢を坂本九から訊かれてもひたすら「こんにちは」と繰り返した。お名前は?「こんにちは」おいくつですか?「こんにちは」どこからきたの?「こんにちは」歌は好きですか?「こんにちは」お前は九官鳥か。場内は爆笑の渦。悔しかった。坂本九と一緒に「大きな栗の木の下で」などのおゆうぎをしてお土産にシングル盤をもらった。A面は「幸せつくろう」B面は「マイ・マイ・マイ」。このB面の曲が素晴らしくて当時めちゃくちゃ気に入っていたのだけどそのシングルは行方不明になった。しばらくして85年、日航機の事故で彼は亡くなる。没後十数年して発売された彼のCD9枚組メモリアルボックスセットをカミさんが買ってプレゼントしてくれた。その中には子供たちとたのしそうに遊んでいる様子が収録されたライブや懐かしい「八犬伝」の曲、そして「マイ・マイ・マイ」も入っていた。
そんな事を「名古屋女子マラソン」、女子マラソンのオリンピック出場選手決定のニュースなんかを見ていて、ぼや〜っと思い出したのである。理由はわかりますよね。
孫悟空 ― 2008年03月15日 20時20分20秒

市の主催する「じどうかん演劇フェスティバル 市制60周年記念孫悟空」に申し込んでいたので市民文化会館にでかける。カミさんは別件で出かけるのため付き添いはおれ。演じているのは児童演劇の劇団東少。ミュージカルが専門なのかなあ。自由席だったんだけど子供らは前の方がいいという。要望を受け入れかぶりつきのような席で観劇した。昔友人知人が集まりワイワイと飲んでいる席で「ところで孫悟空のあの頭の輪の名前はなんだったっけ?」という話題が盛り上がったなあと思い出す。その時「きっとそれは金輪際だ」という迷答を発した知人は亡くなってしまって今はいないんだよな〜とこれまたせつない感慨にふける。そのうち気持ちいい歌を聴きながらウトウトしてしまい、下の子に起こされてしまった。
三蔵法師と観音様は女性が演じていたのだがそこでふと思い出してしまったのが筒井康隆氏の超絶短編、「魚籃観音記」である。これは孫悟空と観音様が××××してしまうという小説で、孫悟空はその自慢の如意棒で××××し、観音様と××××して一千年の××××を××××するのである。あまり詳しく書けないので、知りたい方は是非本を読んでください。こどものミュージカル観ながらこんな事を考えてしまってすみません。
第20回吉祥寺寄席 ― 2008年03月19日 23時23分23秒

回を重ねること20回。吉祥寺寄席の日である。しかし残念ながら仕事の都合で行けず、上の子だけ送り迎え付きで一人で見物した。出演は上方より3回目の出演になる桂九雀(写真左)とこれも3度めくらいの三遊亭金兵衛。今回は二人とも三味線太鼓のハメ物つきでやるということで楽しみだったんだけどなあ。かかったネタはどちらも賑やかな「天神山」と「七段目」だったらしい。桂九雀は月に一回、亀戸で落語会を開いている。上方落語にふれた事のない方はぜひどうぞ。僕は行った事は無いんですがここではたぶん見台膝かくし、ハメ物などはつかないと思います。
大阪へ ― 2008年03月22日 23時23分23秒

父親が亡くなって1年、23日の法事のため大阪に帰る。東京駅でOGGIのチョコレートケーキ、新大阪駅のお土産コーナーででタイガース仕様のミニチュア菰冠りを買って実家についたら母親は手ぐすね引いて待っていて早速掃除である。猫の肉球ほどの庭を掃き、前栽からお仏壇用に花を切る。座布団掛け軸お膳の支度。湯のみグラスにお盆の準備。ビールを冷やして届いているお供え物の分配、徒歩5分のお墓に行って掃除が終ったらお供え用の小餅を搗く(餅つき機だけど)。搗き終わった餅を小餅用に小さくちぎる役を初めてやったが俺の手のひら指先は普段からカミさんにお前はよけいな事に手を出すなと嘲笑されているくらいの猫皮膚なので熱いのなんの。たまらず途中でビニール手袋をつけたがそれでもめちゃめちゃ熱い。昔、祖父さんや父親は片栗粉つけただけで素手でやってたんだよなあ。丸める役の俺達女子供は「ほれほれ大きさがばらばらやんけ」などと好きな事言ってたけど、謝ります。おじいちゃんおとうちゃんごめんなさい。
ざっと支度を終えて夜には明日昼に出る仕出し膳の他のおかずとしてひじきや高野豆腐の「たいたん」を作る。高野豆腐は俺の担当。だしをとったら戻した高野豆腐を入れて薄口醤油酒塩砂糖味醂で味付けをする。超簡単。空いた時間は練炭火鉢でかき餅を焼く。焦げ目がついてふくらんだら、網からあげて少し冷まし、軽く醤油をつけてもう一度軽く焼く。こちらのほうがはるかに難しく何枚も焦がしてしまった。
風呂に入ったあと、この季節の神戸あたり(瀬戸内地方?ちょっと詳しい事はわかりませんが)の名物「いかなごのくぎ煮」と鰆の塩焼き、コウコをつまんで冷や酒をくいくい飲む。床を敷いて新幹線の車内で読んでいた本の続きを数ページ読んだあたりでたぶん爆睡したようだ。
父の法事 ― 2008年03月23日 16時17分05秒

6時半に起床。掃除機をかけ、庭を掃き、水をうち、玄関を掃除し、朝食をすませ、仏壇の前をごえんさん(実家ではお坊さんのことをこう呼ぶ)が来たときのためにセッティングする。定刻にごえんさんが来て、祖父の17回忌もかねた父の法事が始まり、終了後はお墓に行って参加者でお参り。父へのお供えは、ホスピスに移ってからでも飲みたいなあと言っていたビール。墓参りのあとは家に戻って昼食。仕出し屋のお膳とビールを伯母達と一緒にいただく。歓談後今度は食器座布団お供えなどもろもろを片付け。皆さんが帰っておちついたと思ったらもう夕方で、今度は夕食の時にささやかながら母親の誕生祝いをする。この日に母親と一緒にいるのはたぶん20年数年ぶりなのではないだろうか。小さな花束と花粉症用の目の洗浄液をあげた。いかなごのくぎ煮で冷や酒をちびちびやってすポーツニュースを観ていたらたちまち爆睡。
東京へ ― 2008年03月24日 20時18分30秒

起床着替え朝食荷造り連続テレビ小説ちりとてちんをすませて実家を出発。思ったよりアクセスがスムーズで、指定券を取っていたのぞみの時刻より1時間ちかく早めに新大阪駅に着いてしまう。ここで恒例の「浪花そば」である。新大阪から新幹線に乗るときは必ずと言っていいほどここに立ち寄り、うどんを食べる。店名は「浪花そば」だがどうみても大阪の立ち食いうどん屋。食べるメニューは決まって「きざみうどん」。きつねやとろろ昆布もいいんだけど、きざみの軽さは捨てがたく迷ったあげく結局これになってしまう。「たこやきうどん」なんかもあるけど、平日朝の地元客は見向きもしない。このうどんのために朝飯は軽〜くすませてあるので、しっかりおいしく食べられるのである。おなかもぽかぽかになったので、のぞみの指定を繰り上げてもらい、東京へ向かった。
第35回東京モーターサイクルショー ― 2008年03月28日 22時22分22秒

昨年鈴鹿8耐関連の仕事をしたこともあり、取材と趣味をかねて東京モーターサイクルショー@有明ビッグサイトに出かけた。 金曜日の午前中はプレス向けの公開なので一般公開が始まる午後いちを目指して出発。開場ちょうど頃についたら入場待ちの長蛇の列が出来ていてちょっとびびる。バイク専門のショーだけあってモーターショーなんかよりこぢんまりしているけど、展示車両の数も多く、見応えがありました。入場してすぐ屋外の試乗コーナーに行ってみたらまだ定員に余裕があったので即申し込みをした。大型に比べたら数少ない普通自動二輪車のリストの中からKawasaki、D-trackerのモタードを選ぶ。他はやたらとスクーターが多い。500円の料金を払い(保険もあるだろうが、ちょっと高い)、ヘルメットを借り、試乗した。駐車場内の仮設コースを3周。車体はスリムだし、体は起き上がっているから視界もいいし、250なので軽快に楽しめた。ちょっと欲しくなる。
室内展示に移る。最近人気上昇中のKTMやBMW、トライアンフやアプリリアやモトグッチの(フル?に近い)実車ラインナップは昨年のモーターショーでは見られなかったし。ハスクバーナやアグスタやビモータ、マラグーティ、ウラルやボスホスなどのマニアックなメーカーも出品していて楽しい。ばかでかいトライクや、ドラッグレース仕様のカスタムバイク、コリアンバイク、ヒョー スンとかも初めて見たぞ。キャンギャルのお姉さん達もすばらしくて、目を楽しませてもらいました。
ヨシムラブースでは得意先の方達とご挨拶、今年も8耐がらみで何か仕事があればいいが、というより是非一度、鈴鹿に行ってみたいなあ。
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