5月4日2006年05月07日 12時33分27秒

5月4日 子供らの強〜い要望でふなばし三番瀬海浜公園に“ひおし”狩りにいく。40年生きてきて初体験。駅から公園に向かうタクシーで運転手が「いつもGW連休は混雑がものすごいんですよ〜。帰りはこの辺大渋滞するんです」。まず脅された。到着時には入場券販売所にすでに行列。45分後、入場券を購入。くまでを借り、浜へ移動。肝心のアサリがもぐっている会場は網で囲われていて適当な潮時まで入場できないので、開始時刻まで弁当などを食べて過ごす。午後、時刻が近づくに連れ入り口に列ができはじめる。開門時にはかなり列も長くなったので落ち着いたら俺はビール飲んだら後からはいるからとかみさんと子供を先に並ばせ入場させた。が、しばらくたっても列は減るどころかどんどん長くなっていく。振り返るとバケツとくまでを持った人達がぞろぞろぞろぞろぞろぞろと途切れることなく浜に入ってくる。ちょっと大げさだが筒井康隆氏の短篇『幸福の限界』を思い出す。大混雑の海水浴場で後ろからの群衆に押されつつ、足の裏に沈んだ人を感じながら引き返すこともできず朦朧と深みに向かって行進していく恐怖のお話し。で、大量の人間が柵の中にはいり、貝掘りがいっせいにはじまると、陸で待っているこちらにはドブ底の汚泥をひっくり返したような懐かしい昭和の臭いをもう少しマイルドにしたような風がこちらにやってくる。抜けるような晴天。4〜50分もしたころようやく列も少なくなったので中に入り子供らと一緒にアサリを掘る。「おまえたちはここにくるまでどこにいたの? 中国? まさか半島の北側じゃないよね。あれはしじみだったっけ」などと心の中でつぶやきながら。そしてそこそこの量を採ったのでひきあげることにする。今度は大行列の出口に並び、計量し、採ったアサリを100グラム60円で買うのである。公園から出て水道の大行列に並んで足などを洗い子供を着替えさせ、人で溢れている全然バスの来ないバス乗り場を横目に53分ほど並んで来ないタクシーを待ち、西船橋から帰宅した。子供らは「すっごく楽しかった」そうです。おまえらは偉い。

こどもの日2006年05月08日 14時33分09秒

5月5日。 子供らの強〜い要望で、映画「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!」に連れて行く。吹き替え版を観るので上映は午前中から。どこまでがクレイメーションでどこからがCGかよくわからないほど、見事な映像。主人公ふたり(片方は犬だが)がベッドから滑り台みたいなところを滑って車で出動するまでのプロセスがサンダーバードにそっくりだなぁと思ってたら、イギリス映画だったのでした。そういえばトラックも右ハンドルだったし。

映画を見終わり東急本店の屋上で昼飯を食っていたらかみさんからメールがきた。南国に家族で帰省中のかみさんの友人から大きな鰤がまるまる一本届いちゃった!との知らせ。帰宅して玄関あけるとばかでかいトロ箱が…。途方に暮れたあげく魚をさばける知人に電話したら運良くからだが空いてたので助けにきてくれた。包丁持って。最初はうちのせまい流しにも乗りきらず、テーブルで解体しようかと思ったほど。刺身用に切り分けたほかには、中落ちはほかといっしょにあら煮、カマ焼きなど。まるまる鰯が出てきてびっくりした胃袋はよ〜く洗って煮付けに。500mlのペットボトルほどもあった卵もショウガをたっぷり使って煮付けた。胸びれの根元はみりんにつけて一夜干しにした。照り焼きや塩焼きにもしたが、かぶと焼きは頭部を家庭用包丁でかちわることが出来ず、うちのちんけなオーブンにも入らないのであきらめる。あとは助っ人庖丁人が持ってきてくれた芋焼酎黒霧島で、深夜まで鰤づくしの宴でした。魚を送ってくれたかみさんの友人は、「どうお? こまっちゃったでしょう。お友達にも分けて、皆でしっかり食べてね、ほほほ」と笑っていたそうだ。

「プロデューサーズ」2006年05月12日 19時06分45秒

映画「プロデューサーズ」、うかうかしていると終わってしまうので、いそいそと出かてきました。もともと大人気だったミュージカルを映画化したもので、俺にとっても本格的なブロードウェイものとしては「シカゴ」以来の映画。とはいうものの徹夜明けで「シカゴ」見に行って、上映前にビール飲んじゃってうっかり寝ちゃったけど今日はちゃんと寝たし、平日初回の上映なので酒も飲まない。まあ大丈夫だろうと思った。案の定心配は吹き飛んだ。大好きなMGMミュージカルを彷彿とさせるきらびやかな音楽、ダンス、演出にセット、サタデーナイトライブのようなぶちぎれナンセンスギャグ、筒井康隆ファンなら泣いて喜ぶドタバタ、シュール、ブラックな笑い。あからさまな下ネタギャグ、きれいなねえちゃん(ユマ・サーマン、実は結構好き)などなど……。いろんなお国訛りや、民族や言葉のギャグは、半分も理解できていないかもしれないが、楽しさてんこ盛り! 最高に面白かった。ガラガラの客席に、かみさんとおれの爆笑する笑い声がからからと、響いておりました。昨日まで詰まってた仕事の疲れも吹き飛びました。

寄席初体験2006年05月16日 10時43分54秒

天気もたいしてよくなさそうなので日曜昼、新宿末廣亭にでかけた。寄席初体験。しかもガキ連れ。昼の部が少し始まっていたが左右の桟敷席、後ろのほうは比較的空いていたのでそこに席をとる。椅子席は8割ほどの入り。それでもでる芸人さんがくちぐちに「いつもこれだけ人がはいってりゃぁいいんですが」などという。「平日なんてこんなもんじゃないですから次はぜひ平日きてください」とか。とはいえ、若い人や家族連れもちらほら見かける。うちのがきどもいやいや親もふくめた家族みなが初めて生で見る落語家や曲芸や漫才に目を輝かせていた。とても古典落語を理解したとは思えないが。昼の部トリは柳家小満んさんの「愛宕山」。お茶飲んだりおせんべ食ったりしながらのんびりと最後まできっちり見て帰りました。

5月15日月曜日2006年05月17日 14時13分25秒

週が空けて天気も良く時間が空いていたので単車に乗って出かける。実はシートをノーマルに交換したのである。わが愛車、前オーナーがシートをあんこ抜きしていていたのをそのまま乗っていたが、ちょっと窮屈だったのでネットで交換してくれる人を募った。速攻で返事が来てしかもそこそこご近所。思ったより素早く交換が実現してしかも費用もかからなかった。というわけで慣らしもかねてのお出かけです。で、朝8時半頃に家を出た。東名から厚木小田原道路を経由して初めてきました箱根ターンパイク。週末どれほど混雑するのかわからないけど平日の午前中なのでさすがにすいていて天気も良い。緑も目に鮮やかだし鳥も鳴いてて気持ちいいこと…。革つなぎやいじったバイクでぶりぶり走っている人をしり目に、あんまり気持ちいいので景色ゆっくり眺めながらとろとろとろとろ走ってしまいました。中年リターンライダーは、無理してはいけません。展望ドライブインによったけど残念ながら富士山は見えず。そこから芦ノ湖〜宮ノ下の富士屋ホテル前などを通り〜東名川崎インターで降りて、お昼頃には帰ってきました。一人だと、箱根って案外さくっといけるもんですね。

5月24日2006年05月29日 12時17分38秒

京都出張。市内ではなく長岡京市。 仕事が終わった後、長岡の天満宮を案内してもらう。となりにある創業何百年の料理旅館、部屋が池にせりだしている。木造の土台がなんとも頼りなげだが、夏はいいとして、冬は寒そう。なにげなくこんなに古い物が残っていて、しかもふつうに営業してるのが、京都っぽいなぁ。大阪に育ってもいたのが十代まででは、じっくり京都見物なんてしてないもんです。近畿地方、じっくり観光してみたい。 大阪府の実家に一泊して翌朝京都駅より帰宅。駅のコンコースやホームは修学旅行生であふれかえっていました。初めて見たけど、すごい数。ラッパ型のハンドマイクがあちこちでがなりたててやかましいこと。あのころの世代って言うこときかねえし、テンションあがってるし、しょうがないよなぁ。生徒らがなんか可愛くみえた。

「佐賀のがばいばあちゃん」2006年05月29日 12時18分22秒

5月26日 徳間書店の方から「佐賀のがばいばあちゃん」http://www.gabai-baachan.com/index.htmlの試写会に招待していただいた。 すでに原作をよんでいる娘が大好きで、最近も夜寝るときに読んでやったりしていたところだったので娘も連れて行く。B&Bの島田洋七の自伝的小説が原作で、シリーズ合計125万部突破という大ベストセラーらしい。 原爆症で父親を亡くした子供が広島の母もとを離れて佐賀に祖母の家に一人預けられ、がばい(すごい)ばあちゃんとの明るくパワフルなビンボー生活が始まる。道を歩くときはちょっとでも屑鉄を手に入れるために大きな磁石を引きずって歩いたり、自宅横を流れる川の水面に枝がたくさんはえた竹を渡し、流れてくる曲がった野菜やお供えの果物を失敬して「川は、うちのスーパーマーケット」と、食糧の足しにしたり、「この世に拾うもんはあっても捨てるもんはなか」と、しかし「ケチは最低!節約は天才!」とただ貧しいだけではないたくましさあふれるばあちゃん──。 懐かしい昭和の風景、子供の境遇、主人公を見守るあたたかい人達に泣けるところも多々あるけど、「豊かさ」ってどういうことなんだろうと、考えさせられます。たくさんの子供に見て欲しいけど、今時の子供がみな、こういう映画を楽しく見られるだろうかと思ったりもしました。うちのがきは、「もう一回絶対見たい」といってますが。

累計: 検索エンジン登録 本日: SEO対策 昨日: メール配信   アクセスアップ